結婚式が苦手、という話

 

結婚式が苦手なんです、という。

 

 

成人してから都合3度、結婚式に行ったことがあります。(これ以降の呼ばれた結婚式はすべて断ってます。そしてこれからも断り続けます。ごめん。)

 

1度目は子ども関係の団体で活動をしてたときの先輩同士の式で、人前結婚式でした。そのときはあまり考えもなく、素敵やなと思ってたかな。

 

2度目は従兄弟の結婚式。これが個人的にはほんまダメでした。

「ザ・御両家」的な式で、参加者はほぼ親族、申し訳程度に友人が数名。

そういう式だと、式と披露宴の間に、親族同士の顔合わせみたいなのがあるんですよ。

お互いの親族が15人ずつくらいずらっと対面して並ぶ。で、お互い新郎新婦との関係性と名前を言い合う。「新郎の叔父の○○です」「新婦の従兄弟の××です」……

 

 

これ、いる??

 

両親兄弟と祖父母くらいならまだしも、僕なんて息子of妹of父of新郎なわけで(名字だって違う)、今後相手の親族と会うこともほぼないわけで。

 

それなのに儀式ばって挨拶するというのが、なんか、「この親族一門、この血筋には決して変な人間はいませんよ」とお互い確かめ合ってるような、そんな気持ち悪さを感じました。

 

障害のある人が結婚式から排除されるという話をぼんやり知っていたんですが、あ、こういうことか、と。

「普通の人間」の枠があって、そこにハマってなければ居てはいけない場所になってるなと思いました。

 

だから逆に、自分の紹介のときにめっちゃ奇声あげて、ぶち壊してやろうかなと思ったんですが、残念ながらまじめに超がつくほどのつじですから、それはどうしてもできなかった。(いま思うとしなくてよかったけど笑)

でも気分がすごく悪くなって、披露宴で出たゴリゴリの高級ホテルのドチャクソ高い料理は全然味がしませんでした。

 

そんなことがあって、結婚式って気持ち悪いな、と思ってたんですが、この人たちの結婚式なら行けるかなとなったのが3度目の結婚式です。大学(2つ目)の同期同士の結婚式で、大学ではざっくり言うと多様性とか人権とかを一緒に学んでいたので、そういう意味でも大丈夫かなと。

行ってみたら、もちろん両家的な式ではないし、新郎新婦が2人で考えた可愛い誓いの言葉があったり、披露宴もケーキじゃなくてスイカに入刀したり、ゆるっとした感じの本当に楽しいものでした。

 

で、終盤にムービーも流れだすと、みんな泣いてるんですね。そして、めでたいめでたい、と。

 

 

ここでつじの性格を少し。

①あまのじゃく②まじめ ついでに③時間を守れない

 

あまのじゃくやけどまじめ。

むしろまじめを隠すためのあまのじゃく。

このへん多分つじのめんどくささの根源ですな。

 

 

で、そんな性格もあるからなんですが、みんながめでたいと思ってる結婚を別にめでたいと思わないんですよ。

今日の晩御飯何にするか決めたのと同じ、その人の人生の選択をひとつしたってだけなので、へー、結婚したんか〜としかならない。

(強いて言うならその人が今日も生きてることが嬉しいしおめでとうやけど、それは毎日言うとしんどいから、タイミングが合って言える人にはその人の誕生日に言うことにしてます。)

 

しかも嬉しさだけじゃなくて結婚って大変さもあるんじゃない?マリッジブルーって言葉もあるくらいやし、めでたいってだけではないよなぁとも思っちゃう。

 

 

で、めでたいめでたい言うて泣いてる友人に、「でも俺結婚めでたいって思われへんねんなー」と言ったら、

 

「いや、その話は今日はええやん!」と返ってきました。

 

 

 

S E I R O N ☆

 

 

(ちなみに紅茶はceylon☆)

 

みんなめでたいめでたいなってんのに、ひとり「いや、めでたくなくね?」って言ってるやついたら、そらめんどくさいですよね。たしかに、別のときにせえよって思う。冷めるわ。

 

 

 

でもこの時点で、僕の感情は見事に排除されました。

結婚式にめでたいという感情以外を抱くな、と。

そんな人間はいらんねん、と。

 

ここで思い出したのが、小学校の教室の前に貼られた「みんななかよしげんきなクラス」の標語。

別に元気がなくたっていいし、絶対仲良くしなくたっていいはず。でもそんなポジティブなものしか許されないような、そんな空気がある。輪から外れたりネガティブなことを言った生徒は先生から指導される。ひとりでいたら「みんなと一緒に遊びなさい」とかね。いやひとりが好きやねん。

 

それと同じような抑圧をこのとき感じました。

 

結婚式だけじゃないですが、感情がひとつのものしか許されない、感情が押し付けられる場所って生きづらさがあったり、排除があったりするなと思います。

(例えばライブ会場とかもそうかな。ミスチル嫌いなやつがミスチルのライブ来んなよ、的な。ワールドカップに興味がなかったら非国民とかも。)

ひとりひとりの思うところは自由なはずなのに、自分の中のモヤっとしたものを隠したり押し殺したりしてしまう。

 

そういう空間ってなんか怖さを感じてしまうんですよね。自分がそれで排除されることはまだしも、自分もその空間の一員として誰かを排除することに加担してるんじゃないか、と考えてしまって。

 

あ、だからFacebookの結婚の投稿に、「おめでとうございます!」コメントがずらっと並ぶのも、常々恐ろしいと思っていて、なんとか回避しようと思ったんよなあ〜

 

 

まぁただ、思うとしても黙ってりゃいいわけで、式場でわざわざ「おめでとうと思わない」と声に出してるつじはつじで悪いんですが笑

 

というわけで、大丈夫かなーと思ってた人だとかどうだとかは関係なく、結婚式ならなんでも、空気を読まなければ周りの気持ちを萎えさせ、空気を読んだら自分が空虚な気持ちになるということがわかったので、ここまで説明が長くなりましたが、

 

結婚式が苦手なんです、という。

 

(おわり)